平成23年 紀伊半島豪雨水害 被災地訪問

〜 三重県紀宝町再び 〜 平成24年7月27日(日)

紀伊半島豪雨水害から約1年、被災地の現状を視察
するために、平成24年7月27日に三重県紀宝町を約
1年ぶりに訪れた。

平成23年9月3日〜4日にかけて四国地方から中国地
方を横断した台風12号は西日本、特に奈良、和歌山、
三重の3県を中心とした紀伊半島の南部地域に甚大な
豪雨被害をもたらした。

       写真は被災現場の爪痕
     紀宝町高岡地区の明和小学校跡

熊野川など熊野地域の河川が氾濫、那智川では大規
模な土石流により集落ごと流出するなど全国で死者68
名、行方熊不明者16名、重軽傷者103名となった。

  写真は熊野街道(国道42号線)から見た海岸線、

被災当時は海岸線には足の踏み場もないほど流木、
土石があふれていたが、その後の関係者の懸命の復
旧作業によって現在は全くその面影は見当たらなかっ
た。コバルトブルーの熊野灘は眩しいいほど鮮やかだ
った

当時大きな被害を出した熊野川

 

現在も護岸工事が行われていた。

紀宝町高岡、鮒田東地区付近、

相野谷川沿岸の輪中堤

この輪中堤は当時、急速な増水で堤防の一部が崩
壊、結果的に9.4mの堤防を越えて浸水し在住家屋
に多くの被害をもたらした。

現在は仮設工事により安全は確保されているとのこと
でした。

紀宝町高岡地区、

昨年23年10月に私たちボランティアやNPO、関係団
体で災害救援活動を行ったところ、現在は土石も撤去
され更地になっている。

紀宝町大里地域付近で見かけた過去の最高水位

平成2年9月と平成9年7月の記録が表示されていた、
約2.5m前後と思われる、今回の台風12号水害によ
る最高水位はそれをはるかにうわまわったとのこと。

同地、農村公園

当時、がれき等が搬入された場所とのこと。

同地、町民グランド、現在も災害時に搬入されたと思わ
れる瓦礫が堆積されている。

大里地域で見かけた水門

災害当時、この水門は閉じられていたが記録を大きく
上回る氾濫流を防ぐことは出来なかった。

       同、運動場、災害ゴミの集積場

ここは災害ごみが搬入された所、ここでの今回の水位
は6.7mと表示がされていた。

相野谷中学前付近

相野谷中学校は、この地域の避難所になっている、

当時ここにも水位が迫ったが少々高台であったことも幸
いして、被害は最小限であった。

一級河川 相野谷川

水害当時、大反乱を起こした相野谷川も今は何事もな
かったように穏やかな流れであった。

   熊野川を北上して浅利地域に向かう途中、


熊野川右岸は水害により崩壊し車両の通行が困難と
なり浅利地域が孤立、救援活動が大幅に停滞した。
訪問時も交互通行を行っていた。

災害復旧工事中の大和田川護岸

浅理地区、飛雪の滝キャンプ場付近から見た熊野川

対岸の和歌山県新宮市側も甚大な被害であったことを
改めて確認することができた。

和田地区の土石流現場跡

相野谷川と熊野川が合流している鮒田地区は水位が
上昇して大きな被害が出たところ。

紀宝町福祉センター

当時、ここには災害ボランティアセンターが開設され、
多くのボランティアを受け入れた。

災害当時の紀宝町災害ボランティアセンターの模様

紀宝町役場

垂れ幕には「復興に向け心をひとつに!
元気やで!紀宝町」と書かれていた。

当時、この庁舎の屋上に鈴鹿市から移設した
無線中継局用アンテナを設置し有線通信状況の
劣悪な中、迅速な救援活動に大きく貢献した。

被害の多かった紀宝町南部地域地図

今回の訪問を通じて多くの課題のあることを感じた、私
たち市民にもやるるべきことが、まだたくさんあることを
再認識した有意義な1日でありました。