宮城県女川町 熊野神社春祭り


ー 3.11東日本大震災 復興支援 −


平成24年5月2日〜4日弾丸ツアー 主催「 防災一座 」





平成24年5月2日から4日にかけて3.11東日本大震災で被災された宮城県女川町の春祭りに参加させていただきしました。

四日市駅西側の市民広場前に待機中のマイクロバス。


        スタッフによる受付

参加費、ボランティア保険等々の事務処理をおこなっていただきました。

アピタ1F フードコート フリースペースにて

 


     5月2日午後5時前、四日市を出発

 

         挨拶される主催者代表

参加者は四日市を中心に三重県北勢地域に在住する方が多く協力を頂きました。


発災当時から継続的に女川町の支援活動をおこなっている事から協力を決定した、日程的にはきついがG.Wを有効に使うため、弾丸バスツアーを企画したとの説明があった。


ルートは四日市〜東名高速道〜東北道〜宮城県女川町と移動していきます。


開通間もない新東名高速道走行中。


5月3日午前5時ごろ、宮城県進入

三陸自動車道、松島海岸IC付近走行中


     石巻市進入、国道45号線走行中

    がれきが処理されずに積まれている。

がれきの手前は、国道に並行して走るJR仙石線

     5月3日午前6時過ぎ 女川町到着

       旧、女川町立病院付近遠望


           春雨の女川港

がれきが撤去されて更地になっているのが確認できる。

今は何事もなかったような穏やかな女川港であった。

旧、町立病院は海抜約16メータ―の高台であったが、この高台にもさらに約1.95mの津波が来たとのこと。

この病院の裏にあるのが熊野神社、200段の階段の上にある。

当時、津波から難を逃れるため多くの方が必死の思いでこの階段を駆け上がった、みぞれの舞い散る中、たき火などで暖を取りながら、みなさんは助け合いながら夜明けを迎えたとのこと。

多くの人命を救ったこの神社に、地域の人たちの、春祭りにかける思いが、痛いほど伝わってきました。


神輿を先頭にして、あいにくの雨にも拘らず、皆さん元気に出発されました。

3.11大震災以降、氏子が津波の被害でなくなったり、遠隔地に移住したりしてお祭りが出来ない状況にあったことから、広く協力者を募ったことに呼応して、地元宮城県、東京、三重、愛媛、の多くのボランティア団体が協力した。


  お昼前に女川町勤労青少年センターに到着
ここでボランティア団体による炊きだしの施しを受けました。


「がっばっぺ女川」の看板に私たちも元気をもらいました。


       更地を練り歩く神輿、
このコース付近には、復旧工事用車両、重機等がならんでいた。
本来であればここは女川町の市街地、

一行は午後2時過ぎに熊野神社に帰還。


       女川町地域福祉センター

 

午後2時過ぎお祭り終了、福祉センターの向かい側に開設されている女川臨時災害FM放送局


          放送局局舎
今までは別の場所で放送していたが
ここに移動してからの放送は、今月5月からとのことでした。



       広域通信網調査記録、
昨年、平成23年5月2日の電波調査に比べ、通信インフラは完全に復旧している事が確認できた。






午後2時過ぎお祭り終了、クールダウン中
隣接する、女川「お茶っこクラブ」にて、地元の方と参加された皆さん。
翌日4日のお昼頃、三重県四日市に全員無事戻りました。
当日は、あいにくの雨でしたがお祭りが予定どうり実施できたことが最大のお土産です、
参加された皆様お疲れ様でした。
                   ・・・・・・・・終了